ほのめかしを使うと、一言半句として素の意味に触れずにいろいろと語ることができる。そんなことを考えながら、今回のほのめかしを書いてみました。

「市原悦子さんについていろいろな人が語っているんだが、俳優座の養成所では『無駄なことはしゃべらない人』だったという証言が出る一方で『家政婦は見た!』の舞台裏では『あんなに議論する俳優は珍しい。』という人物評が出ているんだ。修行中だとどうしても青臭い議論になってしまうけれど、テレビに出るとなるとやはりどう見えるかはこだわりたかったんだろう。」

「実は『家政婦は見た!』のシリーズは観ていないんだ。見たのは番組の宣伝で覗き見をしているシーンくらい。あのシーンは凄く印象に残っているけれど、どんな内情を覗いてしまったかというストーリーを語るひとを見たことがない。83年から始まってからずっと続いていたんだね。市原さんが死ななければ調べもしなかった。」

「『家政婦のミタゾノ』とかのパロディは観ていたけれど、本家の『家政婦は見た!』は見ていなかった。サスペンス好きの母親がたまたま観ていた 『おばさんデカ』は観たことがある。ずっと脇役だと思っていたけれど、死後に出てくる評価を聞くと俳優としてはかなり優秀だったんだね。」

前提となる新聞記事のURLはこちら
https://www.asahi.com/articles/ASM1K7VBRM1KUCVL01Y.html
https://www.asahi.com/articles/ASM1F73VGM1FUCLV00G.html

日本人はあいまいなことを言う、論理的な議論を好まないと言われます。これは単にそういう文化があるというだけで、決して頭が悪くて議論ができないということではないと思います。

あいまいなことしか言わない日本人でも、実は、今日は晴れているとか、友達と食べたご飯が美味しかったとかいう話を通じて自分の意見を表明しているのではないかと思います。

あるいは、凝ったほのめかし(暗喩)によって、政治家や官僚が報道陣に対して法に触れずに国家機密についての心証を与えることができるかも知れません。しかしそうしてやりとりした心証をそのまま書くことは許されません。実際に取材して得た事実を書くほかないのです。

市原さんの人物評を使ったほのめかしを書きながら、素で読んだときにはたいしたことを言っていないけれど、ほのめかし(暗喩)として読むと自分の意図したところを充分に伝えられているように思いました。

ずっと、たいしたことを書いていないと思っていた『天声人語』や『編集手帳』『余録』『春秋』といった新聞社のコラムにそうした暗喩の意味があるのではないかと思うようになりました。一方で、たとえ暗喩の意味があるとしても、警察に取材せずに記事を書いていたことが発覚した産経新聞の『産経抄』は敬遠したいと思います。